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カナダで戦う日本人!

僕がカナダで成功するために日本人としてその特徴を生かし戦っている様子これからやっていく様子をドキュメント感覚でお伝えしていきます。

【僕の生い立ち】 プリンスジョージ 後編

 僕のカナダでの生活を綴っています。一番最初の記事です。最初から読んでいただけるともう少しわかりやすいと思います。是非どうぞ。

canada-de-tatakaunihonnjin.hatenablog.com

 

今回は僕にとってとても大きな変化、プリンスジョージでの大きな出会いの事を少し書いてみます。

 

今の僕の考えの原点はここにあるのかなと今振り返るとそう思います。

 

beautiful Prince George, BC

音楽の再開

僕のほかのブログも見ていただけてる方はご存知と思いますが、ギターを少し弾きます。13歳からずっとやっていたギターをカナダに引っ越してきてからはあまりやっていませんでした。

 

カナダの生活(特に言葉)を何とかすることに必死でたぶん音楽をやる時間はなかったんですね。

39 Prince George BC

 

このころから少し余裕が出てきたのか、音楽を再開することになります。地元のミュージシャンの友達も結構でき楽しんで音楽をやる事ができました。

 

今のスタイルの基盤になる音楽との出会いもこの時でした。

 

出会い

 この時、カナダに来て初めての日本人の友達が出来ます。この出会いが今の僕の基本を作っているのかなと思います。そんな意味で凄く大きな出来事。

 

ここまでカナダ生活7年ほどほとんど日本人と関わることなく生活してきました。この出会いを機に僕の中に日本の素晴らしい所を見る目が備わってきました。

 

Ancient Forest, Prince George BC

 やっぱり日本人、考え方も近いし普通に日本語が通じるというのがあの時凄く嬉しく思いました。皆さんカナダ生活も長いのでお互いに理解できるという事も凄く大きかった。

 

バンクーバーにいるためあまり会う機会はありませんが、お互い連絡を取り合っています。これからもずっと続くんではないかと思っています。

 

次回バンクーバーの事を少し伝え、本題に入っていこうと思っています。

 

このブログでは僕が大工としてカナダでカナダ人のフィールドでやっている模様を面白おかしく、なおかつこれから海外で挑戦したいと思ってる方に少しでも何かいい情報をお送りできる事をテーマに書いていこうと思ってます。

 

どうなるかわかりませんが是非読んでみてください。

beautiful Prince George, BC

 

 

写真はFlickrからの引用なのですが、実際のプリンスジョージの写真です。少し懐かしく思いました。

41 Prince George BC

 

【僕の生い立ち】 プリンスジョージ 前編

エドモントンを後にプリンスジョージという人口8万人程の小さな町に奥さんとともに引っ越します。エドモントンから車で9時間、夜中に出発し朝方つくというまあまあハードな引っ越しをしました。理由は引っ越しを手伝ってくれた方が(彼女のお兄さんが)次の日とんぼ返りで帰らなければいけなかったからです。ほとんど一睡もしないで帰っていきました。

 

canada-de-tatakaunihonnjin.hatenablog.com

 

Cash Lake Autumn Scene 2016

 

なぜプリンスジョージなのか?

 

よく聞かれます。バンクーバーのあるブリティッシュコロンビア州の北の町、大学がありますが他には自然以外何もない小さな町。みんななぜわざわざそこにと興味を持たれます。

 

理由は特別な事はないんですが、僕は大工になるための学校を探してました。そして彼女がフォーレストリー(林業)の学校を探してました。たまたま両方がそこにあったので行った。ただそれだけです。

 

アプレンティスシップ(Apprenticesship)

大工で学校?と思われた方。カナダではアプレンティスシップというプログラムがあり、主に職人を育てる学校でその種類によって異なりますが4年間働きながら学校に行くというシステムです。


UNBC

 

仕事は自分で見つけるのですが、大工の場合はまず6週間学校に行き、その後一年間仕事をするという事を4年間繰り返し、最後のテストに合格すると一人前になった(Red seal)という証明書がもらえます。

 

何処の国でも専門職は人が少なくガバメントからのサポートもたくさんあるし仕事もたくさんあります。

 

大学とは違うので入るための英語力もそんなにいるわけではなくいいプログラムだと思います。ちなみに入る前に高校3年の英語と数学のテストをやりましたが、英語のテストは全く理解できず4択なので全部適当に書きましたが普通に学校には入れました。

 

最初の仕事

その当時プリンスジョージの経済は⤵気味でなかなか仕事が見つからなく、しばらくの間スターバックスで働いてましたが、学校が終わって2,3か月後やっと初めての大工の仕事に就きます。

 

一般住宅のフレーミングです。仕上げの仕事も少しやりましたが、その会社で4件ほど建てました。

Framed!

 

その後そこのボスが学校の先生となりその人の紹介で違う会社で働くことになります。

 

第二の職場

酒好きのボス、ケン、ちょい悪おやじのネイティブアメリカン、ハワードと気の合うドイツ人ベテラン大工のデレックと僕の4人で働きました。5人目もいましたがあまり続かず基本この4人に一人プラスしたりという感じでした。

 

その後3年ほどこの会社で働きました。20件ほど一般住宅を建てたと思います。今の僕の大工としての基礎はここでハワードとデレックに教えてもらいました。ここでアプレンティスシップも終えました。

 

Vancouver

その後いろんなことが起こりますが、今住んでいるバンクーバーに引っ越すことになります。

 

次回はプリンスジョ―ジ 後編です。仕事の事とは違うもう一つの僕の人生を大きく変える出来事です。

 

お楽しみに!!

 

 

canada-de-tatakaunihonnjin.hatenablog.com

 

 

 

 

 

【僕の生い立ち】 2つ目の街エドモントン

サスカトゥーンにて移民申請を終了し、奥さんとともに新しい生活をする為に今まで彼女も住んだことのないアルバータ州のキャピタルシティー、エドモントンへ移り住みます。

 

canada-de-tatakaunihonnjin.hatenablog.com

 

 

Edmonton Dawn

この時期は前にも後にも最もお金のない時期で、お金節約のため彼女の弟と一緒に住むなどぎりぎりの生活をせざるを得ない状況でした。そんな事もあり未だにエドモンドンは好きになれません。あまりいい思い出がないんです。

 

LINC

Language Instruction for Newcomers to Canada の略で政府が新しく移民をしてきた人に無料で提供している英語の学校に行くことがエドモントンでの最大の目的でした。

 

6か月間通いましたが、そこではとても貴重な経験をさせてもらいました。

 

カナダに移民をする人の多くは中東、中国の人です。特にアルバータ州アフガニスタンパキスタンイラクなどの人が多く、クラスのほとんどの人はそっちの方からでした。もちろん中国人も多かったですが…

 

いろんな報道などで中東の方の人へのイメージは作られていますが全くそんなことはなくとてもいい人ばかりでした。宗教上頭を隠したりしていますが、あの人たちにとっては当たり前の常識であって、その事についてとやかく言うこと自体ナンセンスなんだとその時痛感しました。

 

僕のクラスは比較的英語の出来る方のクラスだったので、いろいろな価値観など聞けることが出来とてもいい時間を過ごせたと思ってます。

 

中でもアフガニスタンから来ていた女の子が凄く興味深かった。その子のお父さんはアフガニスタンでの反勢力の重要人物だったらしく暗殺されたのですが、家族も残しておくと何が起こるのかわからないため、一番上のお兄さんから順番に暗殺のリストに入っていたらしくそのほとんどは既に亡くなってると言ってました。その子は兄弟の中でも下の方でしかも女の子だったためカナダに亡命してこれたと言っていました。

 

やはりカナダに来ている人たちは裕福層が多く、ここでもやはりそっちの方の人たちがいい様に出来ているんだなと思いました。

 

エドモントンでの仕事

アルバータ州はオイルがとれ、その当時とても潤っていました。その反面レストランやお店など人手が足りずどこへ行っても人を探している状況でした。

 

履歴書も何も持たず、店の中に入っていき仕事をさせてくれといえば面接も何もなしでその瞬間から仕事が出来るという状況でした。今考えるとかなり異様な感じです。でもそれくらい人手が足りなかったんです。店に行ってもものを棚に入れる人がいないため棚に商品が並んでいない事もよくありました。

 

僕はそんな状況の中3つほど違う仕事をしましたが最終的にWINNERSというブランド品を安く売っている店で働きました。理由は場所が近かったことと、時給がほかの2つよりも少し良かったという事です。時給は確か$12、人がやはり少なく凄く忙しく店は毎日というほどてんてこまいになっていました。客は物をぐちゃぐちゃにするしそれを片付ける従業員はいないんです。想像できるでしょうか?

 

そこにくるお客さんのマナーは最悪です。日本では考えられません。マネージャーも完全にあきらめていました。よくあんな状態で経営できていたとつくづく思いますが、バブルの真っただ中で何をやっても成功するといった時期だったのでやれていたんだなと思います。

 

と、少し長くなりましたが9か月に及んだエドモントンでの生活はこんな感じです。この後Prince George という人口約8万人の田舎町に住居を移すこととなります。

 

ここでは僕の人生を大きく動かすことが次々と起こります。次回その前半をお伝えしたいと思います。

 

お楽しみに!!

 

 

canada-de-tatakaunihonnjin.hatenablog.com

 

【僕の生い立ち】 サスカトゥーン編

そんなこんなでサスカトゥーンには4年ほど住んでいました。

 

canada-de-tatakaunihonnjin.hatenablog.com

 

 

【余談ですが、サスカトゥーンにいる間何度も素晴らしいオーロラを見ました。平野なのでどこまでも空が見えるためオーロラを探しやすいんです。街から20分ほど車で走れば街灯もない真っ暗な場所に行くのでオーロラも見やすいんです。

Northern Lights, Norway


 

8月末から10月の初めまでが僕の経験から一番オーロラを見やすい時期だと思います。イエローナイフなどオーロラツアーがありますが、サスカトゥーンでオーロラなんてのもいいかもしれません。ちなみに英語ではあまりAuroraとは言わず、Northern Lightsという方が一般的です。】

 

サスカトゥーンでその当時日本にいた時から付き合っていた彼女と結婚をします。彼女の義理のお兄さんEdが倉庫の管理の仕事をやっていて、その彼に仕事を与えてもらいカナダでの初めての仕事に就くわけですが、外国人と全く面識を持たない奴らとの仕事で凄くつらい経験をしました。彼らなりにいろいろとやってくれたんだと思いますが、全く何を言ってるのかわからず何度も泣きそうになりながらやってました。

 

University Bridge in Saskatoon

話は飛びますが、今の仕事、大工になるきっかけもこの時にありました。僕のボスEdが家を購入します。購入時リノベーションをするのですが、そこで職人さんとEd Familyとのやり取りを見ていて僕もこういう仕事をしたいなと思いました。


Tools of the Trade


まだしばらく実現には至りませんが、ここから僕の気持ちは大工になろうという方に向き、それに向かって少しづつ動いていってたと思います。

 

ジャパニーズレストラン与平

僕のサスカトゥーンでの生活に欠かせない存在。バイトもさせていただいた唯一の日本人経営のジャパレスです。

 

唯一といっていいほどの日本人の知り合いで、けんさんまちこさんにはとてもお世話になりました。5人家族で、男二人、女の子1人の家族。子供はカナダで生まれておりみんな日本語も喋りますが英語の方が得意でした。(当たり前ですが)

 

けんさんまちこさんはカナダに長く住んでおられ、凄く興味深い話をたくさんしてもらいました。サスカトゥーンを出た後あまり連絡を取っていませんが、何かの機会にまたお会いしてお話をしたいなと思っています。

 

たまにFacebookで見ますが二人とも楽しそうな老後を送っているようでこれからも元気に楽しんで行って頂きたいと思います。

 

と簡単ですがジャパレス与平の日本人家族のお話、

 

さて、次回は僕のカナダでの2つ目の街についてのお話です。

 

ちょっとした豆知識

カナダ移民考えてる方、バンクーバートロントなど大都市は移民の人数も多いしいろいろと規制などもあって移民がしにくくなっています。サスカトゥーンは移民の人数が少なく楽に移民を出来る事もありわざわざ移民をする為にこっちに移り住むひともいます。

 

英語を勉強するという意味でも、日本人の少ない土地に行くことはとてもプラス。これから海外移住など考えてる方こんなチョイスもありますよ。

 

 

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【僕の生い立ち】 カナダ生活の第一歩

カナダに来て13年ぐらいたちました。今カナダでカナディアンに交じって同じフィールドでやれるところまで来ました。まだまだなのですがそこに至った経緯、僕のやってきたことなど、これから海外に進出しようと考えてる方に少しでもいい情報が遅れないかなと思い自分目線ではありますが書いていこうと思い立ちました。

 

自分が何を今楽しんでいるのか、どんな経験が僕のオリジナリティーがあるのか、自分が読者だとしたら何が面白いと思うのかなど毎日考えながらやっていますが、面白い事を思いついたので早速始めたいと思います。

 

 

まずは僕の生い立ち、カナダでの生活を簡単に説明します。

 

Masa Ichigoの事

僕は2004年24歳の時にカナダに移民しました。当時付き合っていたカナディアンの彼女と一緒にです。3年ほどすでに付き合っていたため英語はある程度出来ると思っていました。しかし、現実はそんなに甘くないですね。彼女は僕の英語力を把握しており、それに応じて話してくれていたので、カナダに来てほかの人と話をしても全く分かりませんでした。
 

カナダ生活

 
サスカトゥーンというそんなに大きくない内陸部の街が僕のカナダ生活の第一歩でした。広大な平野で地平線がはっきり見える今までに見た事のない景色に感動したことを覚えてます。そこに住んでいる人たちはその景色が見慣れてるせいか、山がある場所にあこがれている人もたくさんいましたが、僕にはそれがとても新鮮でした。
 

少しサスカトゥーンについて

 
日本人の人口ははっきりとしたことは良くわかりませんが、ほとんどいません。大学があるので学生は少しいるのかと思いますが、その当時5人ほどしか日本人は知りませんでした。
夏も冬もとっても乾燥していて、冬は約マイナス30度ほどになります。僕の体験ではマイナス42度、体感気温はマイナス55度というのが最高でした。その中当時仕事をしていた倉庫で仕事をしましたが、ドラックは勿論つかず、ヒーターもあまり効かない状態で悲惨な状態だったのを覚えてます。
 
人柄はとてもよく、結構な田舎なので日本人も中国人もみんな一緒で所みたいな人も中にはいましたが、日本の他人をあまり干渉しない所からの変化だったので戸惑いもありましたが心地よさを感じました。
 
と、少し話はそれましたが、これが僕のカナダ生活の第一歩です。この後日本語をほぼ使わない生活が4年ほど続くことになります。泣きそうになりながら、まず言葉をどうにかして「こいつらと同じフィールドに立つぞ!」と自分にに言い聞かせながら必死になってやっていたのを思い出します。
 
今考えればここが今の僕を作るスタート地点だったのかなと思い懐かしく思います。
 
 
と、本題に入るまでしばらくの間僕の生い立ちを書いてみようと思ってます。